【尻つみ祭り】源頼朝と八重姫ゆかりのロマンチックな神社の尻相撲大会
※写真は 伊東市公式サイト、ふじのくに文化資源データベースから引用
イベント情報
【期 間】2017/11/10
式典・神事 18:00~(社殿)
催事 18:30~(境内) ※21:00頃終了予定
【期待度】
3.0
【場所】静岡県伊東市音無町1-12(音無神社)
源頼朝と八重姫の逢瀬の場といわれる音無神社で、11月10日(水)に行なわれるのが『尻つみ祭り』。
その奉納相撲として神社の境内で行われるのが尻相撲大会!
なぜに尻相撲?と思わなくもないですが、昭和50年から40年以上も続く伝統あるイベントなのです。
頼朝と八重姫のロマンチックな雰囲気も何処へやら… 熱く激しい戦いが繰り広げられます。これはもはや、恋より愛より賞品なのであります!!
どどんがどん!
行司さんや審判が見守るなか、軽快なリズムでお囃子の演奏がされ、「どどんがどん!」でお尻を突き合わせます。
大会はトーナメント形式で行われ、観光客の飛び入り参加大歓迎!!だそうですのでぜひチャレンジしてみて下さいね!
土俵となるタライは滑りやすいので裸足で挑むのがコツらしいです。
『尻つみ祭り』の尻つみってどういうこと?
音無神社の祭神の豊玉姫命(とよたまひめのみこと)が急いで産殿に入る際、産むところを「見たまうなかれ」と言ったことから暗闇での神事になったと言われ、真っ暗な社殿のなかで隣の人にお神酒の盃を回す時、お尻をつねって合図します。
これが天下の奇祭といわれる『尻つみ祭り』の由来で、寛永年間の1640年ごろから行われているそうです。
八重姫の悲恋
『曽我物語』によれば14歳で伊豆に流罪となった頼朝は、狩りを楽しんだり、亡父義朝や源氏一門を弔いながら読経もかかさず、地方武士としての日々を送りながら成長していきました。
頼朝の監視役を任されていたのは伊東の豪族・伊東祐親(すけちか)でした。祐親には4人の娘がいたのですが、中でも三の姫(八重姫)は伊豆一の美女といわれる評判の姫でした。
父・祐親が京都大番役として館を離れると、八重姫と頼朝は通じ合う仲になり、子(千鶴丸)をもうけてしまいます。頼朝の監視役であった祐親は平家の叱責を恐れて激怒し泣き叫ぶ母子を引き離し、千鶴丸は腰に重い石を巻きつけられて伊東の松川に沈められてしまいます。
祐親は頼朝にも追討の兵を向けますが、頼朝は走湯後権現(伊豆山神社)に逃れ、さらに北条時政を頼って危機を脱します。この北条時政の娘が頼朝の正妻となる政子です。
一方、江間小四郎の元に無理やり嫁がされていた八重姫は、どうしても頼朝のことを忘れることができず、意を決して北条時政の邸宅を訪ねます。
しかしこの頃すでに政子と通じていた頼朝に会えるはずもありません。絶望した八重姫は真珠ヶ淵の流れのなかに身を投じたといわれています。
ひぐらしの森、おとなしの森
伊東市街の中央を流れる音無川(通称 松川)の中流、おとなしの森にある音無神社は、頼朝と八重姫が密かに恋を語りあった場所とされ、
松川の対岸にある日暮八幡神社のひぐらしの森で、頼朝は八重姫に逢うために日暮れを待ったと言われています。
音無神社の境内には、頼朝と八重姫の時代からあったとされる樹齢約1000年の大きなタブの木や、2人が出会う場面などの絵図もありますので
切なく悲しい恋物語に浸ってみてください。
でも悲しい気持ちは「どどんがどん!」で吹っ飛ばしちゃってくださいね。